第
9 回 石川県の昔ばなし
『小さな神様』
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(3月24日に長七郎さんから頂いたお話を、転載させていただいております。)
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皆様 お早うございます。御機嫌いかがでしょうか、長七郎です。
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暑さ寒さも彼岸までと言われますが、いっきに春がやってきました!
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ところで、2月14日は、私にとってはとても素晴らしい一日でした。
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と申しますのは、朝6時半におじいちゃんと肩を叩きながら、孫のなっちゃんが、手づくりだけど贈り物なの受け取ってねと言って、チョコレートの入ったふくろをくれました!
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えええ、私は一瞬胸が熱くなり、感激のあまりなっちゃんを思わず抱いてしまいました …… 。
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今までにも、幼稚園で作った物や、帰りの道端の花や彩りの葉っぱを拾っては、これプレゼントと言って、私の手のひらにのせてくれることがありました。
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歳をとって幾つになっても、孫からのプレゼントは嬉しいものですね。
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勿論ホワイトデーには、なっちゃんのほしい物を贈りましたよ(笑い)
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さて、 いつものように昔話をお送りしましょう。 |
今回は 石川県の民話です。 |
それでは今日も、昔話のはじまり、はじまり〜。 |
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昔、新保は気屋川と旧七尾街道の交わる所にあって、ここが森村の発祥の地となりました。
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その頃の村人達は皆、田畑を耕し農作業する他は、何の仕事も楽しみも有りませんでした。
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子供達は、膝小僧の出る短い着物を着て、裸で野山を駆け巡り、鬼ごっこ、陣取り、かくれんぼと、遊びまわっておりました。
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ある秋の事です。さっき迄、大声を張り上げ、一群となって遊んでいた子供達の姿が、コツゼンと消えうせてしまったのです。
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家々の窓から薄火が漏れ、夕食の準備に忙しくなる頃、家の人達も、帰りの遅い子供達の事が、そろそろ気がかりになってきました。
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夜も深々と更け、村は大騒ぎになりました。
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隣の太郎も、向いの八郎も、後ろの弥吉も、十人の子供達が皆帰って来ないのです。
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大人達はてっきり天狗さまのいたずらに違いないと思いました。
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手に手に提灯を持ち、太鼓を叩き、鐘を鳴らし、大声を張り上げて探し回りました。
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草の中、土手の陰・・・村中くまなく探しましたが、子供達の影も形も見つける事が出来ませんでした。
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大人達は、青くなって、ただ神や仏に助けを求める他はありません。
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「どうぞ、子供達をお返し下さい。 どうか子供を返して下さい。」人々は一心に祈り続けました。
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そうした親の願いが通じたのか、村の真ん中の小高い丘の小さい祠 ( ほこら ) がぼんやりと光り出したのです。
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「あんな小さな祠(ほこら)の中におる訳が無かろう。」 大人達は、まさかと思いながらも戸を開けてみました。
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すると、黒い固まりが石のように硬く寄り添っているではありませんか。
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「おった! おった!」 一人・二人・三人・・・・・・十人。
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子供達は、親の懐に飛び込んで震えていました。
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それからは、夜になると外で遊ぶ子供は一人もいなくなったという事です。
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そして今も、村を守る城跡には、数mの土塁 ( どるい ) と、古い祠(ほこら)が三棟建っております。
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このうち今にも老朽化して倒れそうなお社を、今でも稲穂の神として奉っています。
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おしまい。
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■ 長七郎の思い出
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この物語の中で、子供達が自由自在に遊んでいる様子に、私はふと、自分の子供の頃の思い出をよみがえらせました。
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戦時中、私は母方の祖母の実家に、小学校1年の2学期から3年間預けられました。
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母に連れられて祖母のもとに来た私は、当然、母と一緒にそこで暮らすものと思っていました。
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ところが母は、私だけを残して東京に戻っていかなくてはなりませんでした。
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それは、田舎の学校へ転校して三日目のことでした。 |
その日学校であったことを母に話そうと急いで家に帰ったのですが、メモだけが残されていて、すでに母の姿はありませんでした! |
その後私は、毎夜悲しみました。そんな私の胸の内を知ってか、祖母が私の枕元へやって来て、昔話などをいろいろと語ってくれるようになりました。 |
そのおかげで私は、翌朝には昨夜悲しんでいたことなどすっかり忘れて、いつものように近所の子供たちと、野山や川で遊びまわることができるようになりました。 |
でもそんな時にも、真黒な煙を吐き出す蒸気機関車が通ると、東京の母を思い出しました。 |
そして友達に悟られないように、涙ぐんだものでした。 |
この民話を読んでいて、そんな昔の記憶が、この歳を迎えても思い出されました。 |
少し余談になりましたが、いずれにしてもこの物語においては、子を思う親の強い愛情が、神仏をも動かし、大人たちは無事子供達を探し出すことができました! |
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さて 次回は何処の民話へ……。乞う、ご期待を!!
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■ 一読者の感想
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子供たちは、どうして姿を隠してしまったのだろう。なんで祠で寄り添っていたのだろう。いったい誰の仕業なのだろう? このお話を読んでいろんな疑問が浮かんできます。そしてこれはきっと、夕暮れ時には子供たちに帰宅を促す、教訓話として語り継がれたのではないかと思わされます。
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でも今の世情のせいか、印象に残ってしまったのは、長七郎さんと同じく、思いっきり遊び回る子供たちの姿です。そして、何よりの宝である子を心配する親と総出で探す大人たちの姿です。いつの時代にあっても、どこの地域にあっても、出会うことのあるあたりまえの光景です。でも今、遊び回る子供たちの姿は、どこへ行ってしまったのでしょうか。子供を家族の、そして社会の宝とする思いはどこへ行ってしまったのでしょうか。子供は遊びの中から、気力や体力や知識や、そして何より人と人とが共に豊かに生きる知恵を身につけていきます。
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子供たちの遊び呆ける姿を目にしなくなり始めて、もう 20 〜 30 年になるでしょうか。でも、まだまだ間にあいます。まちにも村にも、安心して遊び回る子供たちの姿を取り戻すしていくこと、もう 1 度、人の生きる力を育む社会をつくり直していくこと。それは、かつて遊び呆けた記憶を持つ私たちの大人の、責務なのかもしれません。 |
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