第
7 回 出雲の国(島根県)の昔ばなし
『くにこくにこ』
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(2月22日に長七郎さんから頂いたお話を、転載させていただいております。)
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皆様 お早うございます。日中は 春を感じさせる日差しとなってきました。御機嫌いかがでしょうか 長七郎です。
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先日、池袋で食事の帰りにエレベ−タに乗っていたら途中4階から母親とベビ−カ−に乗った1歳位の幼児が 大声で泣いて入ってきました!!
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私はどうしたの、ママに怒られたのと声をかけたら、その子はピタッと泣きやんだのです。
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私は幼児がおとなしくなってしまったので、様子をガイドヘルパ−さんに聞いたところ、眼を丸くして瞬きもせずこちらをみつめているとのことでした。
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おそらくその愛らしい大きな瞳で、この世の中に変なじいさんもいるもんだと眺めていたのかな、いいやそれとも見られていたんですね!!(笑)
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子供の動作ってとても可愛いんですよね。
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さて、いつものように昔話をお送りしましょう。
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今回は、出雲の国(島根県の東部)に伝わる神話です。
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それでは今日も、昔話のはじまり、はじまり〜。
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むかし、むかし、大昔、ずっと昔のことでした。
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八束水臣津野命(やつかみずおみづぬのみこと)という、とても力の強い神さまがありました。
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ある日、神さまは、この出雲の国が、まだできたばかりで、幅の狭い、ちょうど布のようなかっこうをしているのをながめて、
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「なんと、出雲の国は狭いなあ。始めっから随分と小さにつくったもんだ。よし、わしがひとつ大きくしてやろう」と言われました。
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そして、「どこか遠いところに、引っぱってきてもよいような、国の余りはないかなあ」としきりに北の方をながめていられましたが、やがて急に目をかがやかして、
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「あった、あった。新羅の国のはしのあたりに国の余りがあるわい」と言って、さっそく、新羅の国まででかけ、その端のところに大きな鋤をうちこみ、
力いっぱいぐっと手もとへ引きよせられました。するとその端のところは、みごとにぐさっと離れました。
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「これは、うまくいったわい。」
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神さまは、その離れたところに、三つよりによった太い丈夫な綱を結びつけ、一方を持って、ちょうど川舟でもひくように、
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「くに来い、くに来い(くにこい くにこい)」
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と言いながら、もそろもそろと引っぱって来られました。すると島はだんだんこちらに近づいて、とうとう出雲の国の北がわにくっつきました。これがいまの日御碕から平田までのあいだの北山だということです。またその時、この北山が、また離れてしまっては、いけないので、南の山の中にひときわ大きいくいをうちこみ、それに引いてきた綱の端をしっかりと結びつけておかれたのですが、
その山がいまの三瓶山だし、また引いて来られた綱にたまった砂が、園(その)の長浜だということです。
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こうして、出雲の国は、少しは大きくなりました。だが、まだ小さい。もっと大きくしなければと言って、神さまは、また北の方をながめていられましたが、
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「あった、あった。北門(きたど)の佐伎の国にあまりがあった」
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と言って、その国に綱をうちかけ、さっきと同じようにして、またもそろもそろと引っぱって来られました。これがいまの十六島(うつぷるい)から佐陀川までの山、つまり宍道湖の北がわの山だということです。
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だが、これでもまだ小さい。もう少し大きくしなければならぬと言って、また北の方を見ていられましたが、やがて、
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「あった、あった。北門(きたど)の良波(よなみ)の国にあまりがあるわい」と言って、その国に綱をうちかけ、さっきと同じようにして、またもそろもそろと引っぱってこられました。これがいまの佐陀川から千酌(ちくみ)あたりまでの山、つまり松江市の北にあたる山並だということです。
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こうして、出雲の国はだいぶ大きくなりました。だがもう少しだ、もう少しは大きくしなければと言って、また北の方をながめていられましたが、
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「あった、あった。高志(こし)の国にあまりがあるわい。あれを引いてきて終りにしよう」と言って、その国に綱をうちかけ、さっきと同じようにして、もそろもそろと引いて来てつなぎとめられました。これがいまの千酌(ちくみ)あたりから美保関までの山、つまり中海の北の半島だということです。
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この時もまた、南の山の中にひときわ大きいくいをうちこみ、それに引いて来た綱のはしを結びつけておかれましたが、その綱が弓が浜だし、山はいまの大山(だいせん)だということです。
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こうして、出雲の国は、八束水臣津野命(やつかみずおみづぬのみこと)の国引きによって、いまみるように大きくなったということです。
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おしまい。
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ちなみに、
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古代出雲(こだいいずも)は、弥生時代、古墳時代の出雲の国(現在の島根県東部および鳥取県西部)にある出雲平野、安来平野を中心にあった文化をさすそうです。
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そして いろいろな神話物語が今でも伝えられているのです。
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■ 一読者の感想
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地質学や地球物理学的に考えると、きっとこの神話のように土地と土地がぶつかって、出雲の地が出来てきたのかもしれません。そう考えると昔の人の直感はすごいと思います。
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でもそれ以上に思うことは、古来よりこの地が、海上交通の要衝であったということです。
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朝鮮半島とも往来があったでしょうし、江戸時代には北前船が発達し、その寄港地ともなりました。恐らく物資の往来と共に、人の往来も盛んで、この地に住みつく人たちも多かったのではないでしょうか。こうしていろいろな人たちが集まってきて、出雲の国が形成されてきた。神話というのは、いつも創造とロマンが掻き立てられますね。
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