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第 6 回  秋田の昔ばなし  『与次郎稲荷』
(2月13日に長七郎さんから頂いたお話を、転載させていただいております。)
皆様 お早うございます。御機嫌 いかがでしょうか 長七郎です。
一昨日ガイドヘルパ−さんと近くの公園を散策しましたら、さざん花・椿は満開でした。
何本かの紅梅は二部咲きでしたが、日当たりの良いところは四部咲きの樹もありました。
花を訪ねる限り、春はすぐそこまできているようです。でも、まだまだ寒さが続きます体調にはご留意を。
さて、いつものように昔話をお送りしましょう。
今回は、出羽の国(今の秋田県・山形県)の北村山郡に伝わる「与次郎稲荷」というちょっと悲しいお話です。
それでは今日も、昔話のはじまり、はじまり〜。
(1)
関ヶ原の戦があったころ、関東から秋田に移された佐竹の殿さまは、久保田山に城を築きはじめました。大勢の人足たちが、土を運んだり、石をおこしたり、一生懸命でした。
ある夜、殿さまの枕もとに、白髪の老人があらわれ、
「わたしは久保田山に年長く住んでいる白狐である。城を築くためにわたしの家もこわされるのはいたしかたないが、せめて、わたし等のために一坪の土地を与えて下さい。そうすれば、お家はいよいよ栄えることでしょう。
もしこの願いを聞きとどけて下さるなら、わたしの仮りの名を与次郎とし、江戸表への使者となって御家を守護いたしましょう。江戸表へは六日間で往復し必ずご用を果します。」と、言ったかと思うと、その姿は忽然と消えました。
がばとはね起きた殿さまは、「さて、不思議なことがあるものじゃ」と思いましたが、もともと、勇気のある殿さまでしたから、そのまま工事を急がせました。
ところが、あくる晩も、またそのあくる晩も同じ夢を見ました。
さすがの殿さまも、「なんとかせずばなるまい」と思い、また江戸屋敷にとめてある妻の身の上も案じて、
「望む通りに住いを与えて、江戸表の様子を知るてだてにいたそう」と考え、久保田山の頂近く杉の林に十坪あまりの土地を与えました。
その頃、幕府は、独得の間諜政治を行なっておりましたが、いろんな機密が、つつぬけに秋田の殿さまへ知らされていました。
それで、いつしか、飛脚の与次郎の身辺へ幕府の目が光りはじめました。行くときも、帰るときも、誰もその姿を見たものはありません。それで、
 「あれはガマの術を使うにちがいない」とか、「魔性のものだ!」と、言いきるものもありました。
そして、与次郎を殺す計画がたてられました。
そのころ、六田部落に旅人宿、間右衛門がありました。
時おり、夕方になると風のように飛んできて泊り、そして南へかけて行き、また、南からきて、北へ帰って行く一人の若い飛脚がありました。
この飛脚こそ、白狐の与次郎だったのです。
この宿に、お花と呼ぶ娘がおりました。名も知らなければ、ところもわからないこの飛脚に、若い心を寄せていました。
ある日の夕方、与次郎が泊まったのを幸いに、お花は与次郎へ心の中をうちあけました。
「その心はありがたいが、わたしは・・・実は白狐なのです。人間ではありません。秋田の殿さまへ御恩返しに江戸表へ飛脚にたっているのです」
と、言いましたが、お花はあきらめきれませんでした。
(2)
幕府は隠密をはなして、与次郎の身辺を探っていました。
六田部落の、間右衛門宿へ泊ることをつきとめた隠密たちは大喜びです。
主人の、間右衛門にたくさんの金を渡し、与次郎を射ち殺す計画をたてました。
射ち手は怠けものの猟師の谷蔵でした。
この計画を次の間で聞いていたのはお花です。「与次郎さまが殺される。」と思うと、気が気でありません。
そんなこととは少しも知らない与次郎の飛脚がやってきました。
下にもおかないもてなしです。 やがて、旅の疲れで寝入った与次郎の室のふすまがす−と開いて、入ってきたお花は、「もし与次郎さま、大変でございます」と、そのわけを話しました。
驚いた与次郎は、宿を抜け出して、やがて松並木にさしかかりました。
「おや、においがする。」 それは狐たちの大好きなねずみの油揚だったのです。
「このおれをつる気だな、馬鹿馬鹿しい」と思って、通りすぎようとしましたが、「待てよ、ほかのものが迷うと大変だ。」と言いながら、取って捨てようとした時でした。
ぶ−んと激しく飛んできた矢が、身をかわそうとした与次郎の左の目へ突き刺さりました。
「あっ!」
駆けつけた猟師の谷蔵は、太い腕を振り上げて、とうとう縛ってしまいました。
その夜は大変な酒盛です。白狐の皮をはぎ、肉は鍋に煮ての大振舞でした。
これを見たお花は悲しさの余り、胸がつぶれるばかりでした。「いたわしい与次郎様・・・。」
それから骨を拾い山の中に埋めて、心から冥福を祈りました。でも間もなく、
お花の姿は六田の部落から見えなくなりました。
それからの六田の部落にはいろんなことがおこりました。
谷蔵は狂って妻子を殺し、悪い病がはやり、火事がおきて家が焼けるなど、大変な騒ぎでありました。「殺された白狐のたたりにちがいない。」そんなうわさが出たので、小さな社を建ててやることになりました。
与次郎が捕まったあくる朝、江戸屋敷の松の木に、見覚えのある状箱がぶら下がっていました。
それは、与次郎がいつも持って来る状箱でありましたが、与次郎の姿はありません。
「変ったことがあったのではないか。」といろいろ調べたところ、与次郎が六田部落で殺されたことがわかりました。
(北村山郡東根町六田、現在の山形県東根市六田の与次郎稲荷誌より)
おしまい。
■ 長七郎の解説
この物語は 悲しい結末でしたね。与次郎は白狐でありながら、人の恩義を決して忘れず、殿さまのために懸命に忠義を尽くしました。また、白狐の仲間に危険が及ばないようにと、与次郎の思いやりのある優しい気持ちが伝わってきました。
我々人間さまはどうでしょう。昨今では凶悪犯罪や偽証問題、無責任な行動など、全くモラルを無視した事件ばかりです。与次郎のような義理人情を重んじる、思いやりのある心で、今日のような忌まわしい出来事から脱却したいですね。
ちなみに徳川幕府の時代は、謀反の未然防止策として、地方の城主の妻を半ば人質として、江戸住まいさせていたようです。
さて、次回は何処の民話へ…。乞う、ご期待を!
■ 一読者の感想
この物語を聞いていて、何より感じるのは、狐の与次郎や宿屋の娘お花のけなげさと憐れさです。狐は稲荷神の使いであり、稲荷神は元来稲・穀物・農業の神様です。いつの時代にも、支配者は横暴で身勝手です。自分たちの都合で、農民から田畑と住まいを取り上げ、勝手に別の所へ移転させてしまう。
それでも生きていくだけのものを与えられれば、農民は文句も言わず感謝して、黙々と理不尽な恩返しとささやか恋の幸せに生きていく。しかしそのけなげな生活さえも、支配者たちの争いで踏みにじられていってしまう。昔の人々はそんな心情を、この物語に重ねあわせていたのかもしれません。
そして今私たち人間は、この世の支配者として、自然やそこに住む動物たちに同じことをしているのではないでしょうか。たくさんの動物や植物たちのけなげさと悲鳴に、耳を傾けられるようになりたいものですね。
 
長七郎の付録
本日のお誕生日の方おめでとうございます。
【 誕生日の花言葉 】
2月13日 キンセンカ(キク科)  花言葉  慈愛
『誰とでも仲良くしそうなキンセンカ お日さまいろの顔をあげたり』
オレンジや黄色の大きい花を咲かせるキンセンカは、誰にでも好かれる親しみやすい花です。
冬の太陽に向かって元気に咲いていました。
歌人 鳥の海 昭子
 
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