第13回 横浜市港南区
(長七郎さんの故郷)
の昔ばなし
『
東樹院の文福茶釜
』
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(6月20日に長七郎さんから頂いたお話を、転載させていただいております。)
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皆様 お早うございます。御機嫌いかがでしょうか、長七郎です。
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このところ 入梅は 一休みでしたが明日から本格的な梅雨だそうです。
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体調を崩さないよう 健康管理には 怠りないようにしましょう。
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さて今回は、私の故郷、 横浜市港南区 に伝わる昔話『東樹院の文福茶釜』をお送りします。
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それでは今日も、昔話のはじまり、はじまり〜。 |
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むかしむかし、東樹院の和尚さんが戸を開けてみると、それはそれは若くて、美しい女の人が一人立っていました。そして、寒さにふるえながら、小さな声で言いました。
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「道に迷ってしまいました。すみませんが、一晩泊めていただけませんでしょうか」 |
年をとった和尚さんは、かわいそうに思って、女の人を寺にあげ、温かいおかゆをたいてもてなし、泊めてあげました。
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次の日の朝、その女の人は、何度も頭を下げてお礼を言い、どこかへ立ち去りました。
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それから二、三日して、再びその女の人が寺に現れたのです。そして、「先日、お世話になったお礼です」と言って茶釜を差し出して、立ち去ろうとしました。
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その時、和尚さんは声をかけました。この女の人は、旅の途中で道に迷い、行く先や泊まる宿がないにちがいないと思い、しばらく寺にとどまるようにすすめたのです。
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寺にとどまるようになった女の人は、「ご親切にむくいたくても、これ以上お礼をすることができませんから」と言って、和尚さんから筆と紙を借りて、すらすらと、絵を描きました。あんまり見事だったので、和尚さんは、すっかり見とれてしまったそうです。
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この女の人の話は、たちまち村中にひろがり、評判となりました。寺を訪れる人の数も増えて、すっかり親しまれるようになりました。
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ところが、ある晩のこと、村の近くで、犬にかみ殺された一匹のタヌキの死骸が見つけられました。そして、そのタヌキは何と、寺の女の人と同じ着物を着ていたのです。その日から、その女の人の姿を寺でみることはありませんでした。
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和尚さんは、そのタヌキをねんごろに葬りました。そして、その女の人の残した「茶釜と絵」を、寺の宝としてたいせつにすることに決めました。 |
残念ながらその絵は、明治十七年の大火事で焼けてしまいましたが、茶釜だけは、いまも寺に残され「文福茶釜」とよばれています。 |
また、東樹院の庭には、この話を伝えるタヌキと女の人の陶製の像があります。
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おしまい。 |
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東樹院の和尚である守鶴が愛用したこの茶釜には、一度水を入れると、一昼夜水を汲み続けてもなくなることはないという説が残されています。 |
またこの茶釜は、いくつもの良い力を持っていたことから、「福を分ける茶釜」という意味で『分福(文福)茶釜』と呼ばれるようになったという説も残されています。 |
一方「ぶんぶく」と呼ばれるいわれには、水を入れると突然「ぶくぶく」と沸騰することから、「ぶんぶく」と呼ばれるようになったという説もあります。 |
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■ 長七郎の解説
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親切心って、日本人はてれると言うか恥ずかしいというのでしょうか、声をかけるのに躊躇しがちですね。 |
私自身も若い頃はとても恥ずかしくて、声をかけることができませんでした。とても勇気を要することなんですね。
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でもこの年齢では、恥も外聞もなく、何処へ行っても平気です(笑う)皆さん、勇気を持って思いやりの精神で、声かけをしましょう。
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ところで昔話には、タヌキやキツネが人間とかかわった話がでてきますが、それだけいろんな動物と共存共栄していたのですね。 |
いや人間が、以前から動物が住んでいるところへ割り込んできたために、タヌキやキツネが出てきて人間を困らせている場合もあるようです。
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さて 次回は何処の民話へ……。乞う、ご期待を!!
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■ 一読者の感想
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この物語に現われる茶釜は優れた工芸製品、絵は傑出した芸術作品と見て取ることができます。このような工芸と芸術に秀でた“たぬき”とは何者なのでしょうか。そして“たぬき”はなぜ殺されねばならず、“たぬき”を噛み殺した“犬”とは何者なのでしょうか。
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『鶴の恩返し』で見られるように、昔ばなしでは、被差別賎民や異邦の者を、動物で表す場合が見られます。この“たぬき”も、特殊な才を有した異邦の者、あるいは罪人であったのでしょうか。 |
でもここに、人々の生活に根ざした工芸と芸術の真の力を見てとることができます。それは人々の心を動かし、力を与え、福をもたらしていきます。コンク−ルや展覧会で賞をとることばかりを目指した現代のア−トのあり方を、ちょっぴり考えさせられます。 |
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